このアンサーは主観で占められています。パンダ(白黒熊)しか見たことのない人間がクマ全体を語っているようなレベルなので、たっぷりと割り引いて読んでください。

私は演技についてはまったく詳しくないので、観客として見た印象を述べます。
演技レベルを、
- 台本を覚えてすらいない
- 完全に棒読み
- 破綻はしていない
- 普通にうまい
- ほとんどプロ
と、レベル1(下手)→レベル5(上手)に分けると、平均的に3と4の間って感じです。
私が地区大会で高校演劇を初めて見たときの印象は、「え、こんなうまいの」でした。ちなみに、演じていた演劇部はなんの賞も受賞できなかったと記憶していますが、そういうレベルであっても決して下手ではないのです。皆、すらすらと台詞を口にするので、セットの後ろに台本が置いてあって、引っ込んだときに確認しているのではと真剣に疑いました。

後日、演劇部員に「台詞を忘れたりしないの?」と聞いてみたところ、「忘れないのが普通です」みたいな言葉を返されたと記憶しています。おそらく彼らにとって、台詞は九九みたいなものなんでしょう。
私のような素人は台詞を全部覚えているということだけで感心してしまいますが、彼らにとって覚えるのは当たり前なんですね。その上で演技を作っていくので、あからさまな棒読み演技もないのだと思います。
強豪校はみんな普通にうまい
春季全国大会ぐらいまでくると(ようはブロック大会上位校)、平均演技レベルは3と4の間から4と5の間にアップします。出てくる部員、みんな普通にうまいです。
普通にうまいってどういうレベルなんだと疑問に思われる方もいるかもしれませんので少し説明させていただくと、「自分は今、舞台を見ている」とシンプルに感じさせてくれる演技というのでしょうか。「高校生の演劇を見ている」のアンダーライン部分をほとんど感じないんです。
また「神は細部に宿る」という言葉がありますが、演劇はある意味細部だらけで、一例を挙げるなら特定シーンでの演技を終え、もうそのシーンではなにもやることはなくなった役者であっても、芝居の状況によってはステージに残り続けなければなりません。
その状態で演技者の邪魔をせず、かつ、シーンの見た目や雰囲気を壊さず、それどころか表情などを使って全体の質を高めさえするって結構難しいと思うんですが、上位の大会に出てくる学校は皆、そういったことをさらっとこなしています。まさしく、神を細部に宿らせています。
フィクションだと「演技力=才能」って描写をしがちですけど、実際はどう考えてもほぼ「演技力=稽古量」です。ブロック大会や全国大会に出るような演劇部は基本的にめちゃくちゃ稽古している、だから演技がうまいといっていいかもしれません。
ほとんどの女子演劇部員がうまく演じられないキャラクター
ただ、強豪校の部員であってもあまり上手に演じられない役柄があります。それは一般的な大人の女性。たとえば、学校の先生、看護師、母親といったキャラクターです。大抵、落ち着いた口調で丁寧に話す、みたいな演技をするんですが、あまりうまくいっていません。大人に見えないんです。そのまま、"すごく丁寧な口調で話している高校生"に見えてしまう。
でも、年上を演じられないとは一概にいえず、"老婆"と"がさつなおばさん"はすごくうまい。この二つのキャラクターに共通しているのは、それっぽく見える仕草があるということでしょうか。老婆なら腰を曲げてしゃがれた声で喋る、がさつなおばさんなら手をバタバタ動かし、女性特有の語尾(~よね、~だわ、~かしら、といった)を使ってハイテンションで喋るといった。
一方、「こうすると典型的な大人の女性っぽく見える仕草」って、あんまり思い浮かびませんよね。日常シーンの女性模写に長けているタレントの横澤夏子に「普通の四十台代女性っぽく喋ってみて」といきなり言ったとして、多分、彼女ですらとっかかりがなさすぎて困惑するはず。寄せるイメージ像があいまいだから再現に苦労するのかな。
高校演劇ではこの役柄に注目!
演じるのが難しい役柄もあれば、とても上手にこなす役柄も存在する。高校生が一番うまく演じるのは"高校生"。これはまあ、当たり前。本物ですから。老婆とがさつなおばさんがうまいのは上で書きました。それ以外に私から見ると「この役柄にハズレなし」といえるものがいくつか存在します。
老婆

老婆とがさつなおばさん以外と書きながら老婆を挙げてしまうわけですが、少し語りたくなるほど上手なのです。
老婆役の演技で、
- おばあさんに(も)見える
- おばあさんにしか見えない
この二つには大きな差があります。難易度が高いのはもちろん後者ですが、地区大会で毎年のように一人は目にします。単純計算で全国には毎年100人以上もの"おばあさんにしか見えない"演技をこなす演劇部員がいることになる。
私が過去最高にうまいと思った"老婆"は神奈川の地区大会にいました。声、話し方、話す間、姿勢、雰囲気、すべてが老婆のそれ。途中、「あれ? 客演ってありだっけ?」と本気で混乱したレベルです。経験豊富な女優がゲストとして高校演劇の舞台に上がっているようにしか見えなかった。
女子高生は皆、老婆を上手に演じられるわけでもないでしょうから、うまいのは個人の資質によるものでしょう。演劇部の中でも特に上手な部員は、これぐらいの演技ができるというのを体感する上で"老婆"はとてもいいターゲットです。出てきたら是非注目してください。
トリックスター

トリックスターとは、話が落ち着いたところで舞台袖から出てきて大騒ぎしながら引っかき回し、笑いを誘いつつ次の流れの道筋をつけて引っ込んでいく。ウィキペディアでの説明を読む限り、そんな役柄でしょうか。演劇をテーマにした漫画『ガラスの仮面』でいうと『真夏の夜の夢』で北島マヤが演じた妖精パックが該当します。
高校演劇では男子が演じることが多いように思えます。家族をテーマにした芝居における生き方が自由すぎる次男とか、演劇部をテーマにした芝居における残念な感じの部長とか。
任される部員は総じて華がありますね。長い手脚を思いっきり伸ばし、ダイナミックなポーズを決めたり、よく通る声を劇場内に響かせて面白いことをいって笑わせてくれる。はまると、「次はいつ出てくるんだろう」と待ち遠しくなり、出てくると拍手をしたくなります。
トリックスター役の部員がよく見えるのはキャラ自体が魅力的だからというのはもちろんあると思いますが、うまく演じられなければ悪い意味で芝居から浮くか、あるいはトリックスターなのに埋没してしまうなど悲惨なことになるので、演技力プラス舞台度胸あっての輝きであるのは間違いないでしょう。
テレビや映画で余裕たっぷりにトリックスターを演じるプロの役者と比べると少し青いかなとは思うけど、その初々しさも楽しい。演劇部は男女の比率的に男子が女子に押され気味なので、こうした役柄で男子が存在感を発揮しているのを見るのは同性としてうれしいですね。
ツインテール少女

高校演劇は高校生が"高校生"を演じることが多い。だから、演技が上手な部員ほど役柄と本人が同じに見えますが、それはキャラクターが現実的だからともいえます。つまり、「こんなキャラ、実際には存在しないだろう」と観客が思ったら、いくら演技がうまくても役者本人の素とキャラを同一視する可能性は薄れるわけです。
ツインテールの不思議少女、あるいはオタク少女はたま~に出てくるキャラで、大抵、高い声で場の空気からずれたこと、あるいは誰にも忖度しない本音を口にして笑わせてくれます。
面白くて魅力的なキャラ(コメディリリーフ)ですが、男子校出身の私でもこんな女子高生、実際にはいないとわかるので、ほかのキャラと違って現実感はないんです。
ところが、話が進むにつれて生き生きとしてくる姿を見ているうちに、「あれ? このツインテール少女役の人って現実でもこういう人なんじゃないかな?」という気がしてくる。「役関係なしに普段からツインテールなのかもしれない」という気になってくる。それぐらい、役者本人と非現実的なはずのキャラが一体化してくる、つまり、ステージ上で台詞を喋っているキャラが本物の人格を持っている人間に思えてくるんです。
多分、等身大キャラクター揃いの中、そこから少しはみ出している人物を演じることに役者が大きなやりがいを感じて気持ちを乗せているんじゃないかなあ。
実在しそうなおばあさんを再現する演技とはまた違い、実在しなさそうなキャラにリアリティを吹き込む演技、それをこなす演劇部員の力量もすごいといえるのではないでしょうか。
天才・北島マヤのような部員はいるか?
突然ですが『ガラスの仮面』にはヒロインの北島マヤがなんだかんだあってスターの座から転落し、高校の文化祭の一人舞台で再起を図るというエピソードが出てきます[1]。そして、落ちぶれた女優の一人舞台ってどんなもんかと見にきた観客の女の子が、マヤの演技を見て恐ろしげな表情でつぶやくのです。
「この子…天才だわ…」
実際の高校演劇で天才を目の当たりにすることはあるのでしょうか? ……はっきりいってわかりません。しかしながら、見続けていれば、そして運がよければいつかあるかもしれない……という気はします。
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堺雅人[2]や黒木華[3]などエンタメ界の第一線で活躍している高校演劇経験者は想像以上に多く、彼らを大会で見た人たちにはなにか感じるものがあったかも。
ちなみに私個人の経験として、未だ「この子、天才だ」と思った部員はいません。ただ、華を感じた部員は何人かいます。舞台かテレビか映画か、またどこかで彼らを見られたらこんな嬉しいことはないですよね。
才能が高校生の段階で開花するとは限らない
私事ですが、中学のとき、担任だった社会科の先生に「花瓶一基」の"一基"を指されて「これ、読めるか?」と真顔で聞かれたことがあります[4]。卒業式で私が目録を読まないといけなくなって、その確認だったんですが。
後々、私が本を出すと知っていたらそんなことは絶対にいわなかったでしょう。つまり、彼は私がいずれ本を書くなんて夢にも思っておらず、漢字の読みすら怪しげなレベルだと考えていたわけです(勉強がまったくできなかったのは確か)。
担任と生徒の距離感でこれですから、高校生の才能や将来性を第三者がちょっと見ただけで正確に判断するのはまず無理といえます。私も、実は未来のトップスターの演技を既に見ているにもかかわらず、『未だ「この子、天才だ」と思った部員はいません』なんて書いちゃってるのかもしれません。
ということで、「どうせたいしたことないんだろ」的な先入観で高校生の演技を捉えず、フラットな意識で観劇されることをおすすめします。
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