このアンサーは主観で占められています。パンダ(白黒熊)しか見たことのない人間がクマ全体を語っているようなレベルなので、たっぷりと割り引いて読んでください。

この質問に答える前に、まずご紹介。
大会では演劇部員にわざわざ面と向かっていわなくても、観客が演劇部員に感想を伝えられる方法はちゃんと用意されています。
優しさがあふれるメッセージボード
未だに正式名称がわからないのですが、俗に「メッセージボード」といわれるものがロビー(ホワイエ)に置かれます。神奈川の大会には当たり前のように存在し、東京でもブロック大会のときに見たので、おそらく全国的なものなんじゃないかなと。

同じ県内でも場所によってスタイルが異なりますが、仕切り板みたいなボードに学校名が記された白い模造紙が貼られていて舞台の感想を書き込めるタイプが多いですね。上の画像に写っているのは横浜で行われた神奈川県大会で設置されたものですが、ハートや星形に切った紙に感想を書いて貼るスタイルになっていて、とてもかわいらしかったです。大会スタッフが頑張って作ったんでしょう。

こちらの画像に写っているのは神奈川西湘地区(小田原辺り)大会でのボードですが、こうして紙に直接書く方が一般的です。
冒頭でも書きましたが自分の名前を記す必要はありません。感想のあとに「○○高校演劇部」など所属を明記する人は結構います。
匿名で感想を自由に書けると聞くとネット掲示板のような恐ろしさを連想するかもしれませんが、とても優しい世界が展開されており、今まで罵詈雑言はおろか批判すら見たことはありません。
ただ、褒めることが前提になっているため、褒めるところがなかった舞台に対しては書くこともないわけで、上演校の組み合わせによっては感想ぎっしりのボードとほぼ真っ白のボードが隣り合わせになるという残酷なコントラストを目にすることも珍しくありません。
で、結局のところ、批判を気軽に書き込めるかというと"つまらなかった作品はスルー"がメッセージボードの流儀なので書きやすい環境ではないですね。
自主公演で配られるアンケート
文化祭などで行われる自主公演や地区の春フェスでは受付でパンフレットと一緒にアンケート用紙を渡されることがあります。大抵、いくつかの質問と自由記入欄が設けられていて、質問の内容としては、
- 面白かった?
- このイベントをどこで知った?
- 印象に残った役は?
あたりが鉄板で、メッセージボード同様、客は自分の名前を記入することなく提出できます。
それはいいとして、私はどうもこのアンケートシステムに釈然としないものを感じているんですよね。学生演劇に共通していえるんですが、用紙の回収率を上げようという姿勢がまったく伝わってこないんです。
まず、ペンが用意されていない。台の類いがない。そしてなにより、舞台終了後すぐ「とっとと帰って」という空気を漂わせる。そんな状況でいつ、どこでアンケートを書けと?(慣れた客は上演終了10分前ぐらいに太ももの上で書いている……オチを見ていない人の感想って意味あるかな……)
アンケートは慣習として一応配布しておきますが、感想は帰り際に直接言ってね、みたいな感じならアンケートいらなくないですか? 空気に急かされて慌てて書き上げた、あるいはオチを見ずに書いた感想にどれだけの意味があるのかわからない。「よかった」とか「面白かった」と直接言われたいだけならアンケート用紙を配るのは意味がないからやめたほうがいいし、文章の感想が本当に欲しいなら、後日、演劇部のツイッターアカウントに送ってもらった方が質の高いものを集めやすいのでは?
この話はこれぐらいにしておくとして、メッセージボードに比べれば批判は書きやすいです。しかしながら、提出する人の数が少なくて目立ちやすい上、用紙を回収箱に入れたり、部員に渡すときに顔を見られるため完全な匿名にはなりにくく、つまらないと思ってもそれをそのまま書くのは躊躇してしまうでしょうね。
このままだと、おまえはプロになれない
ここまで読んできて、「演劇ってポジティブな感想しか伝えられないように統制されてない?」と思う人もいるかもしれません。
正直なところ、そういう面もなくはないと思います。専門外なのに偉そうなことをいって恐縮ですが、地区大会を見ていると、「この舞台(脚本)、一度でも第三者にチェックしてもらったのかな?」と疑問を抱くことがたびたびあるのです。演劇素人の私が初見で変だなと感じる部分を、講評時、審査員も指摘する。ようは誰が見てもおかしなところが本番に至るまで修正されない。
なぜこういったことが起こるのか。それは顧問や部員が書いた脚本および稽古を見た関係者が、おかしな部分をあえて指摘せずにスルーするからじゃないかと。
ここから少しだけ、私の思い出話を書かせていただきます。
私がプロを目指して小説を書き、せっせと友人たちに読ませていた頃のある日、いつもは絶賛の感想を送ってくれる友人が突然、
「このままだとおまえはプロになれない」
と記し、新作の欠点を100個ぐらい羅列した感想文を送りつけてきました。私は大きなショックを受け、全身が沸騰しそうなぐらいの勢いで憤慨しましたが、同時にようやく知ったのです。彼が私の小説を読んで稚拙だ、つまらないと思っていた部分を長い間、あえて胸にしまってくれていた――というか、言い出せなかったことを。
私と友人のエピソードは一つの例で、関係性によっていろいろな心理が働くのでしょうが、距離感が近いほど創作の受け手は作り手に物申さなくなる、あるいは物申せなくなるというのはあると思います。
後日、部員に「つまらなかった」と伝えることは……?
ここからようやく質問に対する回答で、質問はようするに「周囲が気を遣っているのにそれに気づかない演劇部員に、真実という名の鉄槌を下したい」ってことですよね。
もちろん、「つまらなかった」とLINEで伝える自由はあります。ただ、
相手の鼻っ柱を折って気持ちよくなりたい
とか、
「伝えた方が相手のため」という大義名分の下、自分の考えを無理強いする
つもりならやめた方がいいです。どちらにしてもあまりいい結末にはなりません。
上から目線になってしまいますが、所詮、高校生の演劇なんです。見て納得いかないところが出てくるのは当たり前。そもそも、高校演劇って「面白い舞台を演じるのがすべて」なんですかね? 私は違うと思います。だって、高校演劇はあくまでも学校の部活動で学習の場なんですから。
劇を作る、面白かったといってもらえる、講評で審査員にフルボッコにされる、反省会を行う、全部ひっくるめて社会勉強なのかなと。
友達であれば、その経過にあらがわず、あえて傍観するのもやさしさなのではないでしょうか。
私は高校生に感想を尋ねられた場合、基本的にはよかったところだけを伝えるようにしています。きちんとした批評は専門家にしてもらった方がいいし、トライ&エラーの過程を「これはあり得ない」と単純化して、彼らの進化を邪魔することは避けたいからです。
批判するにも技術が必要
「正直つまらなかった。でも、気を遣って『よかったよ』と伝えたけど演劇部員が納得しない。『たとえばどんなところが?』としつこく聞いてくる」
というケースはどうでしょうか?
まず、クリエイターの端くれとしていわせていただくと、創作に携わる人間は作品の出来に自信があるときほど本気で感想を聞きたがるものです。面白いといってもらえると信じ込んでいて、一刻も早く承認欲求を満たしてほしいんですね。
そんな心理状態の人に「本当は全然面白くなかった」と伝えるのは厳しい。いわれた側も自己評価との差に大きなショックを受けるはず。もし、「そっかー。うん、全然大丈夫」などと笑顔で返してきても真に受けちゃ駄目ですよ。演出や脚本など劇の根幹を担った部員だったら、内心ではマジギレしている可能性があります。
大学サークルの人間模様を描いた『げんしけん』という漫画があり、そこに荻上さんっていうプロの漫画家を目指す女の子と、編集者として働くことが決まっている年上の彼氏(笹原)が出てくるんです。

荻上さんが新人賞に応募することになり、笹原にアドバイスを求めます[1]。笹原は真摯にあれこれ感想を伝えるんですが、ようは「つまらないから描き直した方がいいよ」という内容で、次第に荻上さんがキレ始め、最終的に、
それ……直すとしたらほとんど全部ですよね? つまり全否定ですよね? それ(※漫画)が全否定されるって事は私が全否定されるって事ですよね? じゃあ笹原さんが描いて下さいよ!!
とブチギレるのです。
作品=自分って気持ち、自分も若い頃は持ってたなあ……というのは置いといて、笹原は後日、「所詮俺も素人で……」と反省します。ここが重要で、ネガティブな感想を効果的に伝えるには知識とテクニックが必要なんです。
そういったものがないことを自覚しているなら、いくら演劇部員が「正直にいってくれていい」などと絡んできても「つまらなかった」というのはやめましょう。言い放ったときは興奮してすっきりするかもしれませんが、最終的には双方なにも得することなく傷つきます。
実体験から語るアマチュアがアマチュアを批判したときに起きる問題
オーバーキル
批判しているうちに自分の言葉にどんどん興奮してしまい(相手が反論してくると余計に)、いつまでも言い足りない状態に陥り、徹底的にやり込めてしまう。
問題の順位付けをしない
些細な問題と重大な問題をごちゃまぜにして全部指摘する。
言われた方は数が多すぎてどこから手をつけていいのか途方に暮れてしまう。
超一流のプロとそのまま比較する
相手は未熟という前提がなく、時速120キロのボールを投げる小学生に対し、「大谷翔平より全然遅いね」と真顔で言うような比較をする。
第一線で活躍しているクリエイターには、「若かった頃、つまらないとはっきりいってもらえたおかげで自分を鍛え直すことができ、成功につながった」と語る人がいます。また、そういった理屈で「おまえのためにいっている」と批判をぶつける人もいる。
確かにクソミソにけなされたことがクリエイターのターニングポイントになることはありますが、すべてのタイミングで批判が成長の糧になるわけではありません。批判から自分にとっての宝石を取り出すには経験が必要なんです。高校生はまだ若すぎます。
たまに「批判された程度で潰れるなら、その程度の人間(だから潰してもかまわない)」などと言い放つ人がいますが、"才能"は社会の共有財産。いかなる理由があろうとも、一個人が自分の感情、価値観のみの判断でその貴重な財産をこの世から消滅させることに私は反対です。
本当の感想を伝えるのは、彼らが大学生、社会人になり、経験を積み、お金を取って芝居をするようになってからでいいと思います。
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