このアンサーは主観で占められています。パンダ(白黒熊)しか見たことのない人間がクマ全体を語っているようなレベルなので、たっぷりと割り引いて読んでください。

審査について偉そうに語る前にお断りしなければならないことがあります。
私は、初日から最終日まで通して見るのは地元の地区大会のみで(しかも、途中で帰ることもある)、大会を見始めたのは2015年からです。したがって、とても少ない事例であれこれ書いてしまうことをお許しください。

賞をもらうべき学校が選外になる
神奈川の地区大会では男女二人のペアで審査を行うのが一般的なようです。性別だけではなく、男性審査員は50歳程度、女性審査員は30歳程度といった風に年齢にも違いが出るような構成になっていて、特定の価値観だけで賞が与えられないような配慮がしてあります。
それで肝心の審査結果なんですが、私自身は最優秀校(県代表)の選定に疑問を抱いたことは一度もないんです。この中から選ばれるだろうなと頭の中で思い浮かべた学校から選出されます。
と言っても私の眼力が優れているわけではなくて、参加校数にもよるのでしょうが、地区大会だと最優秀校の候補は舞台を見るのが初めての人でもすぐに選べるぐらい、上位校とその他の学校とのレベル差がある感じですね。
ただ、優秀校の選出に対しては何度か首をひねっています。私からすると選ばれるべき高校が選ばれないことがちょいちょいあるんです。
参加校は大抵、
- 『最優秀賞』
- 『優秀賞』
- 『審査員特別賞』
- 『選外』
に振り分けられ、「賞」をもらえる学校と「選外」の学校の比率はだいたい1:1。したがって、真ん中より上の評価を得られればなんらかの賞をもらえるにもかかわらず、私の中では余裕で上位、なんなら最優秀賞争いに加わってもおかしくない学校が選に漏れるのです。
そのたびに、「落ち込んでるだろなあ、よし、当該校のメッセージボードに励ましの一言を書いていくか」と決意するのですが、とっとと撤去されており、こっちまで落ち込んでとぼとぼ帰る羽目になる悪循環。
それはさておき、「なんであの学校は優秀賞ですらないの?」と審査員に聞きたくなりますよね、やっぱり。
審査員たちに好みはある?
私の順位付けがおかしいというのは(話が終わってしまうので)とりあえずなしとして、なぜ審査員がつけた順位と私のような一般人がつけた順位は大きく異なることがあるのでしょうか。
まず思いつくのは、"高校演劇ならではの基準"みたいな独自の物差しが存在するのではという仮説です。実際、審査員による講評を聞いていると、彼らの好みが否が応でも伝わってきます。
- 既成脚本よりも創作脚本が好き
- 顧問が書いた脚本よりも部員が書いた脚本が好き
- 顧問主導の部よりも生徒主導の部が好き
- ほかのどんな話よりも高校生活を描いた話が好き
審査員全員、上記に当てはまるとまではいいませんが、講評まで聞いて帰るような一般客はだいたい似たような印象を抱いているのではないでしょうか。
あらためて並べてみると、漫画に出てくるような演劇部を理想としているのかなと思いました。フィクションの演劇部って、たいがい、顧問の影が薄くて部員だけで頑張っている。そんな演劇部が全国まで勝ち進んでたら確かに痛快で、審査員もそういう理想を持っているのかも。
だけどこの仮説は成立しないのです。もし、生徒が主体となって引っ張っている演劇部がひいきされるなら優先的に賞を取っているはずですが、その印象はないのです。顧問が自ら脚本を書き、演出まで行う学校でも賞をもらえる、いやむしろ、そういった学校の方が最優秀賞に選ばれている印象すらあります。
やはり、経験豊富な顧問が部全体を引っ張る方が作られる舞台の質が高くなるのはほぼ間違いないところで、審査員は好み(というか理想)を脇に置いて、その点をきちんと評価しているように思えるのです。
『いじめ』『差別』『戦争』はひいきされるテーマか?
次に、
優先的に選ばれやすいテーマがあるため、それ以外のテーマを掲げた舞台が押し出され、結果として一般人には納得いかない結果になる
という仮説を考察してみましょう。
映画のアカデミー賞ではよくいわれる話です。たとえば、かなりの人が生涯ベストワンに挙げていそうな『E.T.』は作品賞にノミネートこそされましたが、実際に取ったのは視覚効果賞や音響賞といった、SF作品によく与えられるものだけでした[1]。
映画史に残る傑作でもSFだとアカデミー作品賞を取るのは難しい。やはり、作品賞を取りに行くなら重厚な人間ドラマがマストです。
03:29
高校演劇ではどうかというと、よく観劇する人に「審査で優遇されやすいテーマってあると思う?」とのアンケートを採った場合、
上記三つ(以下、便宜上、三大テーマとします)が回答結果の上位に並ぶのではないでしょうか(高校演劇のジャンルはだいぶ少ないので、目立つテーマが上位にくるだけだろともいえそうですが……)。
私が見ていて思うのは三つのいずれかを実力校が選んで完璧に演じると、ぐうの音も出ない雰囲気が場内に漂うということです。それがすべて感嘆からくるものであれば素晴らしいですが、トランプゲーム『大貧民[2]』における大富豪のジョーカー二枚出し[3]時に抱く、貧民以下の「はい、わかりました」といった、仕方ないな的な達観も含まれているように感じちゃうんですよね。
そのため、一時期は「強豪校があえて三大テーマを取り上げるのっていやらしくない?」と疑念を抱いていたものの、最近は以下の理由から「問題ない」と考えを改めています。
実力があるから難しいテーマを演じられる
三大テーマだから最優秀賞に選ばれるわけではなく、実力があるから選ばれているに過ぎない。
ネガティブテーマはリスクが高い
中途半端な舞台を作り上げた場合、「軽い気持ちで差別問題を取り上げてる」などと揶揄される恐れがある上、テーマの当事者から反発される可能性がある。
舞台を通じて部員に学ばせていると考えればとても意義深い
おそらく、三大テーマの話をやろうと持ち出してくるのは顧問だが、高校演劇は校外活動であり、教育なので、部員たちに真正面から社会問題に向き合わせるのは理にかなっている。
ということで、現在の私の見解は、恋愛やミステリなど高校演劇でほとんど見かけないテーマがある以上、題材によって有利不利がある(と演劇部側が感じている)ことは否定できないけど、『いじめ』『差別』『戦争』を描いたら無条件で高い評価を受けるってことはない、ですね。
優遇されるどころか名作揃いの題材なので、逆に審査のハードルが高くなることもありえます。事実、県大会やブロック大会で演じられるのが三大テーマばかりってことないですもん。
審査員は舞台のなにを評価している?
ひいきされやすいテーマはないとなると、最後に思いつくのは、
玄人である審査員は評価する部分が一般人と違う
でしょうか。
野球でも芸能界でも、プロのスカウトは「完成されていないところが魅力」みたいなことをいって、素人には実力や魅力が不足しているように見える人を指名し、結果、指名された人が大成することがありますから、劇団の代表や役者といった専門家たちが、一般人が見えていない部分を評価している可能性は十分考えられます。
私は残念ながら審査員経験者に話を聞いたことはなく、なにを基準に選んでいるのか実例を挙げることはできないので、もし、なにかの間違いで私が審査員に指名されたらどこを評価するか、観客の評価と違いが出そうな点をひねり出してみました。
多様性
似たようなレベルの舞台が二つあって、どちらかを選んでどちらかを落とすとなった場合、多様性を考えますかね。
評価上位から舞台のテーマが、
- [最優秀]戦争
- [優秀]いじめ
- [優秀]差別
- [優秀]差別
- [特別]差別
- [選外]恋愛
となっていたら、"差別"が多いと考えて5位と6位を入れ替えるかもしれません。珍しいテーマを取り上げたことへの評価という意味合いでも。
環境と能力
環境に恵まれている強豪校とそうでない学校の舞台が似たようなレベルだった場合、内容とは別の部分を評価して後者を上にすると思います。「より不利な環境で強豪校に並ぶレベルまでいったのはすごい!」と。
独自性
多様性とかぶりますが、上位校の題材が軒並み平凡に見えた場合、純粋なランクは下だけどオリジナリティだけならトップと思える学校を最優秀に推すかも。ツイッターのリツイートに似てるのかな。「見て見て、これ変わってて面白くない?」みたいな感じで県大会に送り込みつつ、評価した自分も評価してもらうイメージ。
で、結論。
自分の名前で賞を与えるとなると、「統一基準で点数をつけ良かった順に並べて授与」とはせず、自分なりの補正で順番を入れ変えることがありそうです。順位にイズム(信条、信念)を反映させたくなるんですよ。その補正こそが審査員と観客の評価に違いが出る一番の要因なのではないでしょうか。

――繰り返しになりますが、極めて少ない事例を元に畑違いのド素人が勝手に推測したことです。甚だしい見当違いがございましたら審査員経験者の皆様に深くお詫び申し上げます。
審査より講評に問題あり
ここまで長々書いておいてなんですが、自分は「優秀校の選び方がたまに変だな」とは思うものの、審査に納得できないというほどの不満を感じたことはありません。冒頭でも書きましたが、最優秀賞を「それはない」と断言したくなる学校が取ったことはないからです。
納得できないことがあるのは講評です。
講評とはその日に行われた舞台に対する審査員の評価、感想みたいなもので、一校あたり10分程度の時間をかけて行われるのですが、ごくまれにテストの採点みたいなことをする人がいるんですよね。
という感じで、延々と"間違っている部分"を指摘していくんです。誤りを教えるのはいいとしても、指摘がピンポイント過ぎて汎用性がないのと指摘だけで終わるのは気になります。
と改善策を足すと未来の彼らの力になるのではないでしょうか。
もう少しわかりやすく具体的な例を挙げると、
AさんとBさんのやりとりで、
「(中略)ということなんです。……でも」
「でも?」
っていうのがあったよね。「でも」で止めて相手に聞き返させるのってさ、古くからある観客の興味を引くためのテンプレだけど、なんか無駄じゃない?
と指摘するのであれば、ここで終わらせず、
二人のやりとりにするんじゃなくて、台詞忘れちゃったのかなぐらいの間を空けて、そこから言葉をつなげる独白にした方がリアリティがあるし、緊張感も出て締まった感じになるよ。
と、主観でいいから「なぜよくないのか」「どう改善すればいいのか」を説明していただきたい。そうすれば部員たちにとって別の舞台で活かせるノウハウになる可能性が出てきますから。
畑違いですが、編集者って些末な問題点はあえてスルーして、
「ここを直したらすごくよくなる」
そういう、ツボみたいなところをピンポイントで指摘し、限られた時間でいかに面白くするかだけに注力します。
私は演劇部の関係者ではないですが、高校演劇の審査員にもそういった講評をしてほしいなと思うんです。目についた問題点を順にあげつらっていくのではなく、部員の発想力を刺激したり、飛躍のきっかけを与えるような論評をしてほしい。採点型の講評だと改善方法の指南とセットにする目論見があったとしても、結局、問題点を伝えただけで時間がなくなってしまいますから。
最終更新:
関連ページ