このアンサーは主観で占められています。パンダ(白黒熊)しか見たことのない人間がクマ全体を語っているようなレベルなので、たっぷりと割り引いて読んでください。

もっとも多くの人が目にした『高校演劇をテーマにしたお話』だと思います。とりあえず映画版で比較してみましょう。当然、思いっきりネタバレしていますのでご注意ください。
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顧問のムロツヨシが泣きながら地区大会を総括
ものすごくリアル。県大会に行けなかった学校の部員があんな風に集まって反省会をしているのはよく見る光景。ただ、神奈川だと地区大会は秋に行われるため日が落ちるのが早く、表彰式後に反省会ってことだと外は真っ暗ですね。
演劇部員が女子ばかり
これもリアル。現実に即しています。
新入生オリエンテーションにて『ロミオとジュリエット』を上演
ロミオとジュリエット、やるかなあ……。セット作るのも大変そうだし。しかも体育館。これは演劇部の活動をわかりやすく表現するための映画としての演出でしょう。フィクションの中の演劇部はお約束のようにロミジュリをやる感じがするけど、実際にはやるところは相当少ないと思う。
音楽室で自主公演
十分あり得ます。「あんなに観客が集まるか?」と思う人もいるかもしれませんが、あの演劇部は結構人数が多いから、一人につき三人の友達がくるとして立ち見が出てもいいぐらい。演劇部の集客力は侮れません。
顧問(?)の黒木華が「今の実力なら地区大会は余裕で突破できる」と言い出す
根拠がわからないんですけど、自主公演と稽古を踏まえて言っているのであれば、相当楽観的な見方だと思います。県大会、ブロック大会と勝ち進んだ場合は~などと真剣に続けているのを見ると「本気か!」と突っ込みたくなる。
高校演劇はあれぐらいの感じで地区大会余裕だし、全国も目指せるという印象を多くの観客に与えたのであればちょっとどうなんですかね。当然ですが、ももクロの演技が駄目と言っているのではありません。映画で描かれている部の姿自体が、地区は余裕、全国を目指すっていうレベルには見えない……。
弱小演劇部が地区大会突破を最大の目標として挑み、本番で大成功、有安杏果がいた学校を破り、見事、地区代表のたった一枠を勝ち取る、で、黒木華が女優復帰、県大会へ(結果はご想像にお任せでエンディング)じゃ駄目だったんでしょうか。まあ、駄目だったんでしょうね。
百田夏菜子があっという間に脚本を書き上げ、黒木華が絶賛
あり得なくはないけど天才の所業です。
静岡から東京まで行って合宿
これに関してはわかりません。まあ、あり得る話なのかな。特定の会場に地区内から複数の高校演劇部が集まって講習会を行う、みたいなのは確実にあります。顧問同士が知り合いの場合、合同で練習をすることもあるようです。
地区大会の様子
実態に即しています。審査発表を待っているシーンで、各校の演劇部員があっちこっちに固まって座っている様子は再現度高いです。
地区大会突破!
本番の舞台ですごく失敗するんですよ。映画的にこの演出は仕方がないでしょう。県大会に選ばれるかどうか、観客にハラハラドキドキしてもらうという流れだから。
あれが現実だったとしたらどうなったのかというと、まず県大会への枠が三校ということは、二十校程度は参加していると思うんです。一校は、有安杏果が元々いた学校で決まり。となるとおおよそ二十校で二校の枠を争うということになる。それで、あれだけ失敗して選出されるのかというとかなり疑問です。
描かれていないところでストーリー自体が相当よかったということであれば、部員の創作脚本ということを加味して選ばれることもある……のかな……。
県大会での上演前に観客が一斉に拍手
「静岡ではそうなんだよ!」と言われたらごめんなさいという話ですが、これは映画としての演出で実際にはないと思います。
まとめ
『幕が上がる』を見ていると、「観客の立場だと、高校演劇って確かにこんな風だなあ」と思います。ただ、熱量が現実と比べると足りないです。だから、ちょいちょい挟まる本物の演劇部に食われてしまっている。
あんなに歌って踊れて客に熱を与えられる人たちが、物静かな演技を強いられてしまっているのが要因かなと(劇中劇でも)。
エンディングでももクロが、『走れ!』という曲を役柄の格好をしながらアイドルとして歌うんですが、すごく楽しそうなんですよね。多分、映画を見た小学生や中学生の頭の中にあった「演劇部」への思いは、最後に「アイドル」への憧憬に上書きされてしまうのでは。
部員だけではなく顧問にも観客にももっとたくさんの熱量を感じさせるシーンがあったらなあと。それが残念です。
(敬称略)
関連サイト
映画『幕が上がる』公式サイト
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