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他で見られない無二のストーリー

部員と顧問が書く、王道に固執しない最後まで何が起きるか読めないストーリー。たまに何も起きないことさえある。しかし、それも誰もが初めて見る話。高校演劇独特の空気は癖になる。

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劇場で見なきゃ意味がない

テレビで演劇を見たことあるけど台詞回しや動きが大げさで引いた――。それは見るべき場所で見ていないからだ。演劇の演出は劇場でもっとも輝く。直接見ればわかるだろう。演技が空気を震わせ、生じた熱が感動を誘うことに。

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ノスタルジアに包まれて

今どきの高校生が演じる虚構の高校生活。その世界は思いのほかノスタルジアに溢れている。演技を通じて生の感情をぶつけ合うからだ。十代が抱く不安や希望は今も昔も変わらない。彼らの姿はきっとあなたを"あの頃"に引き戻す。

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大会のパンフレットを見ていたら、劇のタイトルの横に「既成」または「創作」と入っていることに気づきました。既成というのは、以前、上演された舞台の台本を入手して演じる舞台で、創作は演劇部の誰かが新規に台本を書いて演じるオリジナル劇ということです。自分はオリジナルの舞台を演じることの方が偉いように思えます。コピーとオリジナルが競い合うのっておかしくないですか?

回答

このアンサーは主観で占められています。パンダ(白黒熊)しか見たことのない人間がクマ全体を語っているようなレベルなので、たっぷりと割り引いて読んでください。

おじぎするパンダ

確かに一般人からすると少し変わったシステムですよね。

だいぶ昔になりますが、毎年夏に『YOKOHAMA HIGH SCHOOL HOT WAVE FESTIVAL』という、高校生限定のバンドコンテストが行われていたんです。決勝の舞台は横浜スタジアム。

06:53

このコンテストの大きな特徴は皆、オリジナル曲を演奏することで、それゆえに公平性が保たれていると感じました。高校生が作るオリジナル曲の完成度はめちゃくちゃ高いとはいいきれず、もし超一流のプロバンドを完コピするバンドが出てきたら、そのバンドの実力云々ではなく曲の完成度や認知度の高さで会場が盛り上がってしまったでしょう。

こうなってしまうと、すべてのバンドにとって条件的にフラットなコンテントといえるか怪しくなってくるし、見る側ももやもやしてきます。

しかし、高校演劇は昨年の全国大会で演じられた舞台の脚本と、数カ月前に高校生になったばかりの部員が書いた創作脚本を同じ大会で競い合わせることが是とされるルールです。

実例を見てみましょう。

2015年に行われた関東大会の出場校と演目

上の画像は2015年に行われた関東大会の演目と結果ですが、

既成

  • 『さよなら小宮くん(優秀賞)』→越智優の戯曲

以下は演劇ではない原作を舞台化したもの(既成扱いになる)

創作

  • 『繭の中(優秀賞)』→顧問と部員の合作
  • 『I ~アイ~』→部員創作
  • 『秘密の花園』→顧問創作

といった感じで既成と創作の舞台が同じ大会で行われ、一緒に審査されています。ちなみに最優秀を受賞したのは既成脚本の舞台です。

私はこの結果にかかわらず、完成度の高い既成脚本を使う方が少し有利に思えます。

なぜ既成脚本と創作脚本の劇が同列で扱われる?

まず、既成脚本と創作脚本の舞台を競い合わせるシステムの是非から。

私は運営の人間ではないので諸事情はわからないものの、高校演劇においては下記のような理由で仕方ないと考えます。

創作脚本以外は禁止にしたらどうなる?
  1. 大会参加の難易度が上がり、参加校が激減しそう
  2. 無理に脚本を書かせることで全体のレベルが下がり、大会の権威が失われるかも(一度も漫画を描いたことがない人たちだけが応募できる漫画の新人賞を想像してみてください)
  3. 実質的に脚本担当(おそらく演出も兼任)者の才能で優劣が決まることになる
  4. 顧問に丸投げされ、彼らの時間外勤務がますます多くなる
  5. 優れた脚本に再演の機会が与えられないのはおかしいという声が上がる
既成脚本と創作脚本を分けて審査したら?
  1. 審査が面倒になる
  2. 創作脚本の舞台が一つしかなかったら、問答無用で上位大会進出決定?
  3. 創作脚本を使う方がライバルが少ないから県大会に出やすい! みたいなことにならないか

おそらくこの件に明らかな正解はなく、脚本によって審査を分けてもいいけど現状は分けないことになっている、それを変えるほどの理由はないって感じかなと思います。

既成か創作かによって審査に違いは出てくるのか?

次に既成脚本を使う方が有利なのではという点について。

完成度の高い既成脚本を使う方がパフォーマンスを底上げしやすいとは思いますが、客の立場からいわせていただくと、パンフレットに「創作」と記されているタイトルを見ると、「お!」と気持ちが湧き立ちます。創作と既成の舞台があって、どちらか一本しか見られないとなったら、既成のタイトルに見覚えがなかったとしても創作の方を選びます。オリジナルに価値を感じるからです。

だから、もし私が審査員だったら創作脚本の舞台に肩入れしたくなるでしょう。

でも、既成脚本の舞台だからといって、「うわっ既成かよ……」とか「またこれかよ!」なんて、心の中で悪態をつくことはありません。以前に見た芝居であっても比較する楽しさがあるからです。杉下右京が水谷豊ではない『相棒』や、榊マリ子が沢口靖子ではない『科捜研の女』を見るような面白さがあります。演出や役者の解釈やパフォーマンスの違いを楽しむというのはクラシック音楽の楽しみ方に似ているかもしれません。

では、審査員はどう考えているのでしょうか。彼らに話を聞いたことがないので正確なところはわかりません。しかし、講評を聞いていると、ある程度推測はできます。多くの審査員は部員が書いた創作脚本が大好きだろうなと。

推測が正しかった場合に気になるのは、「むしろ、創作脚本を使った舞台の方がひいきされるんじゃないの?」という点。これも審査員に直接聞いてみないとわからないことですが、"ひいき"を"加点"に置き換えるなら、個人的には「そうかもね」という感じです。

既成脚本の舞台と違い、脚本を一から書く作業をこなしているわけで、その点を評価するのはおかしいことではなく、創作脚本と既成脚本は平等であるべきといった理由で加点されない方が変だと思います。

こうして考えてみると、

既成脚本→完成度が高い
創作脚本→オリジナリティ(新鮮味)と労力が評価できる

となり、どちらかが一方的に不利であるとはいえなそうです。

高校演劇のシステムはどうなるのが理想?

最後に質問からは離れますが、脚本のことも踏まえて(私の)理想としてどうなれば客が納得できるシステムになるのか考えてみました。

既成脚本部門と創作脚本部門に分ける

分けられるなら分けた方がいいと思います。

個人賞の創設

具体的にいうと演技に対する賞です。調べてみると地域によっては設けているところもあるようですが、全国で共通化はされていません。地区大会であっても通して見ていると、明らかにほかの子とは違いのある役者を一人は見つけられます。そういった子に対し、公の場で「あなたには役者としての華(才能)があるよ」と伝えてあげるのは悪いことではないと思うのです。

舞台美術に対する賞の創設

個人賞と同じく地域によっては該当する賞があるようですが、少なくとも神奈川の大会には存在しないので全国的に設けられているわけではないようです。

そもそも、私の気のせいかもしれませんが、審査員が講評で舞台美術に触れることがあまりないような?

セットだけではなく衣装のセンスを評価するのもあまり聞いた記憶がありません。衣装担当の部員たちは"役者の見た目がかぶらないようにする"、"キャラの個性や時代を反映する"、そんなことを考え、苦労して衣装を作ったり、当てはめているんだろうというのが素人の私にも伝わってくるので評価してほしいですね。

上演時間の短縮化

表彰に関する提案ではありませんが、今の"60分"という上演時間の上限は強豪校を除く、多くの高校演劇部にとって長すぎると思います。上限ぎりぎりの舞台を上演する学校が多いですが、かなり時間を持て余しているように見えるのです。

私は、ストーリーの起承転結の流れは以下のように「"承"のところであちこち向きを変えながら基本的には前に進む」のが理想だと考えています。

起承転結の図 その1

しかし、時間を持て余し気味のストーリーだと、

起承転結の図 その2

上記のように"承"で同じところをぐるぐる回り、"転結"でやっと前に進みます。なぜこうなるのかというとストーリーの向きを変えるためのアイデアが足りないからです。

私にも相当覚えがありますが、アイデアが足りないと切り上げるべきところでもシーンを切り上げられず、登場人物同士の会話を続けさせたくなります。そうすることでわりと楽に(書きたかった)クライマックスへ到達できるからです。アイデアではなく不要な会話で時間を埋めようとする、これが同じところをぐるぐる回ってしまう大きな要因です。

上演時間の上限を60分より少なくすれば、アイデア不足に陥る可能性を少なくできるのではないでしょうか。

確か中学演劇での上限が40分だったと記憶しているので、少し伸ばして45分ぐらいがちょうどいいのでは。一時間のテレビドラマはCMをカットすると正味45分です。45分あれば十分密度の濃い舞台が作れると思います。

上演時間を短くすることのメリットはほかにもあります。たとえば、

  1. 高校演劇に携わるすべての人の負担が減る
  2. 大会参加のハードルが多少下がる
  3. 創作脚本で挑む学校が増えるかも
  4. 部員数の少ない演劇部によるジャイアントキリングの発生率が高くなる(役者が一人、二人で60分引っ張るのはかなり苦しいけど、短ければなんとかなる)

など。

デメリットは今の時点で思い浮かびません。

最終更新:

関連ページ

脚注

  1. 二人の少女の友情を描く、大正時代を舞台にした日下直子の漫画。 ^
  2. "姥捨て山"の話で1983年に公開された映画はカンヌ映画祭でパルムドール(最優秀作品)を受賞。 ^

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1998年、『金田一少年の事件簿 謎ときファイル2』(講談社)でライターとしてデビューしました。

2015年まで、『ガラスの仮面』の読者であることを除くと一ミリも演劇に興味がないどころか、引いた上で顔を背けていましたが、ひょんなことから高校演劇の地区大会を目の当たりにして魅力を感じ、取材を始めて現在に至ります。

好きな高校演劇

『夕暮れに子犬を拾う』

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