結論から申しますと、「既存脚本の舞台では書かれている台詞をそのまま喋り、創作脚本の場合は関西弁を使う」ようです。
「関西(特に大阪)の高校演劇部は関西弁で台詞を喋るのか?」というのは私にとって長らくの疑問であり、ことあるごとに高校演劇関係者に聞いています。で、みんな、「そうですよ」と答えるのですが、なにしろ実際に見たことがないのでずっともやもやしていました。
2018年、横浜で行われる春季全国大会に関西地区の代表が出ることを知り、ついに疑問が解消されると張り切って見にいったのですが、関西弁じゃなかったんです。標準語でもありませんでした。沖縄の話だったので沖縄の言葉で喋ってたんです。
あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!『おれは関西地区の学校による関西弁の舞台を見に行ったと思ったら(以下略)
内容自体はとてもよかった。居住地域ではない場所の話を演じるのも意欲的でチャレンジングだし。ただ、頭の中で勝手に関西の高校生によるコミカルな掛け合いみたいなものを想像していたので、しばらくは「あれ?」という感じがありました。
関西の人からすれば、「なんで方言がそんなに気になるの?」という話でしょうが、高校演劇の台詞ってだいたい標準語じゃないですか。で、私のイメージとして関西(特に大阪)の人は、どこでなにを話すにしても自分たちの言葉を使う感じがするので、既成脚本の台詞も関西弁に直すんじゃないか、直してたら力業過ぎて関西っぽくて面白いなあ、見てみたいなあという願望じみたものがあるのです。
ただ、もし修正しているのであれば、当然、『夏芙蓉[1]』でも『七人の部長[2]』でも関西JKトークになっている、でも、そんなの聞いたことがないから、自分で勝手に想像しておいて「本当か?」ということになり、真実が気になると、そんなわけです。
真相が判明
当サイト公開後、高校演劇脚本閲覧サービスの運営者様からツイッターのメンションをいただきました。高校演劇脚本閲覧サービスは大阪で行われた大会の舞台脚本を公開しているサイトであり、運営者様はどう考えても大阪の方。直接、大阪の方に聞ける機会は次いつあるかわからないため、図々しくも「大阪の高校演劇部は既存脚本を関西弁で上演するのですか?」とおたずねし、返ってきた答えが冒頭のものです。
では、なぜ関西の演劇部員たちは既成脚本の台詞を関西弁にしないのか? それについてもご説明いただきました。
「既成脚本を関西弁で上演する場合、台詞の一つ一つを関西弁に変換する手間がかかる上、脚本家に対して改変の許諾申請をしなければなりません。そこまでして既成脚本の台詞を関西弁にする意義を部員たちはあまり感じないのでは?」
なるほど!
高校演劇脚本閲覧サービスの運営者様、ありがとうございました。
東北にある高校の演劇部は東北弁で演じているのか?
関東圏に住んでいる私からすると、方言が印象的な地域は関西以外にもあります。東北です。東北地方の学校は東北弁で台詞を喋っているのでしょうか?
高校演劇を代表する強豪校に青森中央高校という学校があり、私は二度、この高校の舞台を劇場で見ました。
04:38
どちらも顧問の手による創作脚本だったのですが、肝心の台詞はどうだったかというと、実ははっきりと覚えていないんです。ただ、少なくとも強烈な東北弁でなかったのは間違いありません。女子のハイトーンボイスによる台詞が一部聞き取れなかったのを除き、なにを喋っているのか全部わかりましたから。ユーモラスのシーンなど、印象的なところでわざと東北なまりを効かせていたかなというのはなんとなくあるんですが、それぐらいですね。台詞のイントネーションの印象が薄いのは、普通に聞けたからということでしょう。
文章の世界でもそうですが、創作は多くの人にわかりやすく伝えることが大事だと思います。たとえば、「俺は本物の東北を芝居でみんなに伝える!」みたいな意気込みを持った人が、"本物"を意識しすぎて特定の地域に住んでいる人しかわからない方言で台詞を書いたら、逆に伝わりません。
多分、地方で高校演劇の脚本を書いている人たちは、地域性を出すためにある程度方言を取り入れながら、誰に対しても台詞がきちんと伝わるようにする、そんな意識を持っているのではないでしょうか。
ふと思い出す橋本治の『桃尻語訳 枕草子』
この回答を書いていて、今年(2019年)亡くなった橋本治の『桃尻語訳 枕草子』が思い浮かびました。清少納言の枕草子をただ現代語訳するのではなく、女子高生風の話し言葉にした作品です。実は読んだことはないのですが、小学校時代の恩師が授業を潰して「面白かった」と熱く語っていたことを今でも鮮明に覚えています。桃尻語っていうのは「ギャル語」みたいな意味ですね。同じ橋本治の作品に『桃尻娘』という小説があってそこからきています。
ちなみに私の恩師は映画『ゾンビ[3]』が最高に面白かったという話を、授業二時間分潰して熱く語ったこともあり、そのせいで私は『ゾンビ』を完全に見た気になって、未だに未鑑賞です。
古文をギャル語にすることと比べれば、『夏芙蓉』や『七人の部長』の台詞を単に標準語から関西弁に置き換えるのはあまり面白くないし、意義もないかもしれません。ただ、そこから一歩進んで、たとえば関西地方の演劇部が『七人の部長』を演じようとするけど六人しかいなくてどうしよう、そんな話はできないですかね? 内輪すぎるのかな。
高校演劇には、演劇部がシェイクスピアの『マクベス』を演じようとしてどんどん話がおかしくなっていく『贋作マクベス[4]』という面白い作品がありますが、マクベスの枠に全国で繰り返し演じられている既成脚本を当てはめた舞台をそろそろ見てみたいです。演劇部のリアルを感じるような舞台を。
77:08
もちろん原作者の許可を得なくちゃいけないし、いろいろ大変だとは思いますが……。
(敬称略)
最終更新:
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